梅雨時とは言え見事に晴れ上がった日の、夕方にはまだ間がある時間帯。
イツキと仔猫を肩に乗せたオミが、片手に荷物、メモを逆の片手にと、きょろきょろしつつとは言え、のんびり歩いている。
「ここら辺なんだけどな…。」
「『ペンション』らしき建物、見当たらないねぇ。」
二人とも辺りをキョロキョロと見回している。
「でも、住所はここら辺……、あっ…た。」
オミがイツキの声に顔をそちらへ向け、イツキの目線を追うと、その先には確かに大きめの建物が確認できる。
「『ペンション』?んー?」
首をひねる。
「でも、周りの家とは造りが違うし。」
「うー…ん…。まぁ、確かに違う…けど…。」
二人の言う通り、確かに違う、が、違いは敷地が広い、建物が大きい、建物の外壁にタイルが貼られている、ドアや窓の形が小洒落ている、庭が小ざっぱりしている程度で…、オミが言い淀むのも致し方ない。
「お前、これで当たりだったら、その態度すんげえ失礼だからな。」
うひゃっ。
「取り敢えず、声かけて見よう。」
門柱に律儀に取り付けられているインターホンを、イツキがこれまた律儀に押すと、
「はい?」
インターホンからは、意外な程若い男性の声が応じる。
イツキが、己の感じた怪訝さを隠しつつ尋ねると、ココがそうだとの答え。
インターホン越しの話しを済ませ、オミにここが目当ての場所であると伝え終えるのとほぼ同時に、門から奥まった所にある建物のドアが開かれる。
「いらしゃい。今お話させて頂いた、超能力者さんですよね?」
インターホンでやり取りした声と同じ声の若い男性が、玄関から続くアプローチを辿ってくる。
問いかけに返事をするも、イツキとオミの表情に浮かんだ疑問は隠し様もない。
この人が経営者?若過ぎ無い?ハタチにもなってないでしょ…。
二人の疑問を察したか、少年が二人を招きつつ理由を説明する。
「父が、まだ会合から戻らないものですから。予約のお客様がそろそろお着きのはずだからと母に言われて、弟と一緒に番をしていたんです。」
説明しつつ玄関を開け、二人を招き入れる。
迎えに出た少年の視線を追うと、受付らしきカウンターの中にいる年若い少年が、軽く会釈を返してくる。
兄の年齢が16・7で、弟は14・5程か、『兄弟』と言われれば納得できる程度の、似た容姿をしている。
「いらっしゃい。ウチ判りづらかったでしょ。『ペンション』なんて言ってるけど、ペンションらしい造りしてないから。」
弟が懐っこく声をかけてきつつ、カウンター内へ入った兄へ、クリップボードとペンを手渡す。
「えー…と、予約の電話の時に確認をさせて頂いたと思うんですが、念の為もう一度確認させて頂きます。」
兄が改まって切り出してくる。
「ウチでは、諸々の手伝いの為に、泊まり込み ― 宿直とも言いますが ― や通いで出入している人がいるんですが、そういった人達の中には、汚染の影響を受けた人もそれなりにいます。汚染の影響を受けた人が、建物内で立ち働いていたりするワケですが、不快と感じたりなさいますか?」
この問いに、二人が首を横に振り、否と伝えると、兄弟の表情から僅かに力が抜ける。
「では、恐れ入りますが、こちらの念書にサインをお願いします。って、あの、日本語の読み書き、できますよね?」
兄が紙を挟んだクリップボードとペンを差し出しつつ、慌てた様に尋ねる。
「うん、出来るよ。って、何年『こちら側』に居ると思ってるの…。」
イツキが受け取り、サインをしつつ笑いながら答え
「念書…か。随分とキッチリするんだねぇ。」
尋ねるでもなく口にする。
「以前にちょっとありまして…。言った、言わないみたいな水掛け論になってしまって…。で、一応、念の為にって。」
でも、読み書き可能で良かった…。お客さんの中には、会話は可能でも読み書きはちょっとって方が結構いるから、等と付け加える。
「ま…、口ではどうとでも言えちゃうから、水掛け論にもなるよね。」
オミのサインを待ちつつ理解を示す。
「あ、こちらも再確認をしたいな。電話でも訊いたけど。」
ふと思い出したようにイツキが言い出す。
「はい?なんでしょう?」
「ペットもOKなんだよね?」
オミの肩に、腹ばい状態でリラックスしている仔猫を指し示しつつ尋ねる。
「えぇ。猛獣とかでない限り。ただ、ペットの風呂使用は禁止なんですが。」
「そのニャンコは、ナリは小柄だけど猛々しかったりするんですか?」
弟がタイガーを、目を細めて見つつ軽口を叩く。
「随分、人馴れ、外慣れしたネコですね。大抵のネコは、始めての場所や知らない人を警戒するのに。」
兄弟揃って、ニコニコと目を細めてタイガーを眺める。
オミの肩の上で、腹ばい状態で周りの様子を見て居たタイガーが、自分を見る二人の視線に気付き、目をクリクリさせつつ小首を傾げる。
兄が表情の緩むのを隠すように手元へと視線を落とすのに対し、弟はタイガーの仕草に嬉しそうな笑みを浮かべ、かまおうとする。
兄は真面目に、宿泊者や宿泊数、食事提供・風呂利用について等予約の確認を進める。
「風呂は、遅めの時間帯には宿直の従業員も使用させて頂きます。それと、お使いいただく部屋なんですが…。二人と一匹とは予め伺っていますが、全室借り上げなので、お好きな部屋を選んでいただけます。どの部屋になさいます?」
新たな用紙を挟んだクリップボードを差し出し、尋ねて来る。
イツキとオミが覗き込むと、肩の仔猫もマネをして覗き込む。
差し出された用紙には、各階の部屋の用途や部屋タイプ、非常口等の簡単な概略図が記されている。
1階は食堂、浴室、受付やロビー、ラウンジ等公共部分とリネン室、受付とは間逆の奥側に厨房が有り、受付の裏、休憩室や従業員室、仮眠室脇の廊下と繋がった先に経営者家族の住居があり、客室は受付やロビー側の2階、3階に記されている。
1階の受付、ロビー、ラウンジ部分は3階まで吹抜となっていて、2階、3階共造りは同じ。
それぞれ階段寄りから、シングル2部屋、ツィン2部屋が廊下を挟み向かい合わせに有り、一番奥、廊下の突き当たり正面にダブル1部屋となっている。
廊下は階段から伸び奥の部屋の前でT字状になり、それぞれの先端に非常口が設けられている。
エレベーターなんて物は無い。
「ご覧になるとお分かり頂けると思うんですが、ウチにはスイートは有りません。ダブルの部屋がそこそこ広めですが。」
「ダブルのお一人様使用をお勧めします。部屋も他より広いし、ベッドも大きいですから。」
兄が補足説明をすると、弟が軽く言い添える。
「オミ、どうする?」
「キーちゃんと同じ部屋で。」
即答。
「んじゃ、ダブルで。2階の部屋で良いよな。階段上るのメンドイし…。」
大して悩みもせずにダブルを選択するイツキと、不満を表さないと言うより、当たり前な態度のオミの様子に、軽く驚きを示す兄弟。
弟が気まずそうに口を開き、改めて確認を取る。
「えー…とぉ…、ダブルの部屋ですと…、ベッド1つしかありませんけども…。ウチはエキストラベッドなんて物もありませんし…。」
「うん。普通、ダブルってそうでしょ。」
真顔で返される。
「ベッドが1つでも問題ない、と理解して構わないですか?」
兄が確認を取ると
「うん?大きめのベッドなんだろ?」
「えぇ。大きいですね。」
「なら、良いよ。二人で使うのにきつそうだったら、その時また対応して貰うから。」
兄弟の、表に出すまいと堪えつつも滲み出てしまう様々な葛藤を、イツキもオミもどこ吹く風とばかりに全く気にしていない。
「分かりました。206号室をご利用になる、と。では、改めてこちらへ、ご記入をお願いします。」
部屋番号に『4』や『9』を使わないという、日本のとても古い習慣を遵守している。
気持ちと、表情を切り替えた兄が差し出してきた宿泊者カードに、イツキが記入を進めるが、とある一箇所でペンが止まる。
「これ、住所、居所ってあるけど…、実際に住んでいる所のを書かないとダメかな?」
「え?えぇ、まぁ…。法律で決まっていまして…。お泊りになる方に、ご本人の住所を書いて頂く事になっています。」
「ぅーん…。住所はマル秘にしたいんだよねぇ…。」
「は…ぁ。あー…の。」
相手の気懸かりに気付き同意を示しつつも、口調を切り替え、
「自分達も一応、家の手伝いとは言え従業員扱いになるんで、ですので、その、守秘義務?に縛られていますけど…。それでもやはり、書き込むのに抵抗を感じますか?」
『子供』であるから、一定以上の信頼は得難いのだろうと察した兄が、ダメ元で食い下がるが、
「ぅーーーーー…ん。」
イツキが難しい顔をして考え込む。
同意は出来兼ねると、イツキのその態度を目にした弟が、少々不安げな表情をし、兄へと視線を向ける。
「では、そのカードの続きは、父が戻ってからご記入いただけますか?実際の住居の場所を書かなければいけないのか、或いは、連絡の取れる所なら良いのか、自分達では判断が出来兼ねますので。父には自分達から説明しますし、二度手間をお掛けする事になってしまいますが。いかがでしょう?」
兄の方に妥協案を提示され、イツキも強く拒否するワケにもいかず申し出を受け入れる。
尤も、法律が絡んでいる上に、ゴネているのは自分の方なのだから、申し出に応じる以外の選択肢は無いのだが。
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